【黒姫童話館とミヒャエル・エンデ】 執筆:三島憲一
ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデ(1929-1995)の『モモ』を読んだ方は多いだろう。あるいは、読んでいなくても、名前ぐらいはどこかで聞いたことがあるはずだ。岩波少年文庫に納められているこのメルヘンはなんと三百万部に達しているそうだ。
町外れにある大昔の円形劇場の廃墟に住み出したモモは、孤児院の窮屈な生活からの脱出者。彼女の周りに集まってきた居酒屋のニノ、観光ガイドのジジ、道路掃除夫のペッポ、そしてたくさんの子供たちが、灰色の服を着た時間泥棒と戦う物語は、せかせかと生きながら、決して豊かな生活になれず、ますますせかせかせざるを得ない現代人への警鐘だ。ドイツで出版された1973年以降、子供にも大人にも読まれ続けている。
知っている方も多いでしょうが、なんとこのエンデの遺品のほとんどが黒姫童話館に納められているのだ。
黒姫童話館は、1991年のオープンから30年、グリーンタウンのメンバーで行かれた方も多いはず。黒姫スキー場に向かって左側の小高い丘の上に立つ、一見ロマネスクの修道院みたいな(しかし、決してロマネスクではない)、それなりに優美な建物だ。入り口の前の傾斜地には、石が段状に按配され、モモの住む円形劇場がミニアチュア風にセットされている。
そのあたりから振り返ると、左上に黒姫山、正面に妙高山、右に顔を回せば斑尾山、そして野尻湖 の谷が広がる。夏空に雲が流れ、麓にはコスモスが咲き誇る。そしてすがすがしい高原の風。
かつては牛が草を食んでいたスキー場のあちこちには森が見え、どこかバイエルンのオーストリア国境地域を思わせる。バイエルン出身のエンデがこの風景を気に入ったのもわかろうというものだ。
中に入ると島崎藤村からはじまって信州にゆかりのある童話作家(藤村が童話を書いたことがあるとは知らなかった)、例えば塚原健二郎や坪田譲治に関する展示もあれば、この童話館創設のきっかけにもなったいわさきちひろや松谷みよ子のスペースもある。
しかし、なんといっても圧巻は、ミヒャエル・エンデを偲ぶ展示だ。彼の作品『鏡の中の鏡』をモチーフにしたらしい合わせ鏡の迷路を通って目がくらくらしながらエンデの展示スペースに入ると、そこには詳しい年譜をはじめ、幼少時の写真、高校の卒業演劇のスナップ、『モモ』や『ジム・ボタンの機関車大旅行』『果てしない物語』などの数多の作品、挿絵のいくつもの原画、使っていた文房具などじつにさまざまな品物が展示されている。壁にはところどころにモモのシルエットがかかっていて、いったいこの館内にはなんにんのモモがいたことでしょう、というクイズを入り口の方から戯れに宿題としてもらうこともある。
なかのカフェーも「時間どろぼう」という名前だが、これは時間泥棒への戦いを励ます意味でつけたのだろう。
モモの周りの人々が次から次へと時間泥棒の巧みな誘いに引っかかる。あなたの人生に残っているのは、あと何億何千何百万何千何十秒、道路掃除にかける時間を一回あたり二百秒減らすだけで、人生これだけ儲かりますよ、とまるで保険の勧誘でもあるかのように。そして時間倹約の契約書にサインすると、その時間は勧誘員の灰色の男たちの時間貯金に回され、かれらはこうして詐欺的に略取した時間を食べて生きることになる。契約書にサインした人たちは、せかせかと暮らしだし、仕事の能率はよくなるが、なんとも潤いのない生活となる。その毒は彼らの周囲にも及ぶ。
例えば居酒屋のニノだが、会計のときに客と無駄話をして仲良くすることもなくなり、日毎に無愛想になる。ゆっくりした郊外の飲み屋だった彼の店は、時間倹約のおかげで儲かりはじめ、能率中心のファーストフードの店へと模様替えし、客は盆を持って並び、思い思いにバイキング形式に皿に食事を取り、最後にレジで支払うようになる。途中でおしゃべりでもしていようなら、後ろの客から「早くしろ」とどつかれる。
だが、そこに胡散臭さを嗅ぎ取ったモモは仲間を募って灰色の男たちとの戦いを試みる。彼ら、つまり灰色の男たちもモモを捕まえて「処分」しようとする。他の人々は皆、勧誘に負けるのに、モモだけは負けないからだ。そしてモモが持つ不思議な特性、つまり誰も彼女に本音を喋ってしまう特性に負けて、灰色の男の一人が、時間泥棒の計画をしゃべってしまう。時は金なり、お前たちから奪った時間で俺たちは生きているのだ。表向きはお前たちの生活の能率化のようなことを言ってるが、本当は俺たちのためなんだ、と。
現代の生活がますます便利になるのは嬉しいが、それに応じて自分の時間が減っているだけだ。いったいどこかにわれわれのあくせくのおかげで密かに得をしている連中がいるのではないか、などと考えたことのある人は多いはずだ。われわれの生活を忙しくしているシステムは、銀行であったり、コンピュータ技術であったり、お役所や工場であったりするかもしれない。長野が新幹線につながってうれしがっているうちに、昔なら出張で宿泊してくれた人が今は日帰りで帰ってしまう。長野の商店街は斜陽化する。いわゆるストロー効果だ。権堂の飲み屋で働いてなんとか食べていけた人も、結局はかけもちでもうひとつの仕事をしなければ生きていけなくなる。どこかにいるわれわれの敵、それが時間泥棒というわけだ。どうやら「時は金なり」では必ずしもないようだ。
ところで「時は金なり」という言葉は、アメリカ独立にも寄与したベンジャミン・フランクリンの文字通りの金言だ。「金」になる言葉という意味でも金言だ。20世紀初頭にドイツやイギリス、そしてアメリカでの資本主義の発展の秘密を解き明かそうとした有名な社会学者マックス・ヴェーバーは、まさにこの「時は金なり」こそ資本主義の要諦と看破した。翻訳も幾多ある『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という名著でのことだ。その意味ではエンデの『モモ』は、まさにこの「時は金なり」への反抗という、それもまだそうした能率万能の世界に取り込まれていない子供や下層の人々による反抗という童話だ。
なんでも楽しい物語を発明するジジも、時間泥棒と契約をしてしまった。すると、話を簡単に作る術を覚え、ラジオ、テレビからひっぱりだこになる。過去に作った話を適当に組み合わせ、新しそうなインチキ童話や物語を作れば作るほど、ますます有名になる。誰も、その話が昔のそれの二番煎じや組み合わせであることまで調べて批判する「時間」がない。そして飛行機や宿の手配を全部してくれる美しい3人の女性秘書がジジの専用車の後部座席で彼の仕事ぶりを見張っている。
古代の円形劇場の遺跡といい、ニノの居酒屋といい、どこかイタリアの、それもローマ郊外を思い起こさせる。時間を節約して金持ちになったニノやジジが引っ越して住む高級住宅街もローマの新興住宅街を思わせる。実際にミヒャエル・エンデは能率的だが、どことなく情感の薄いドイツの生活への批判から、長いことイタリアで暮らし、そのイタリアへの感謝の思いからこの童話を書いたそうだ。
最後には時間の主人マイスター・ホラ(「ホラ」はホラ吹きのホラではなく、時間という言葉のラテン語、英語のhourにあたる)と彼の使者である亀のカシオペイアの助けを得ながら、モモは知恵を使って灰色の服の男たちの軍団を滅ぼす。彼らは一瞬の煙となって消えてしまう。その途中で出てくる「逆戻りの廊下」やマイスター・ホラの時間宮殿で渦巻の中から時間の光が湧いてくる光景などは、映画で見てもそうだが、かぎりなく幻想的で美しい。エンデはドイツに強かったマルクシズムなどの社会改革の運動が嫌いだった。学生運動の革命ごっこは欺瞞と見ていた。本当の改革は考え方の変革から出てくる、それは夢や幻想から始まる、という考え方だった。こうした考えからか、環境問題には大きな関心を抱いていた。『モモ』やその他の作品は揺籃期のドイツの「緑の党」の人々に広く読まれた。メルケル首相が原発廃止の決定をするのに大きく寄与した党である。
こうしたエンデの思想は20世紀初頭のドイツの思想家ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の人智学に学ぶところが多かっ た。ヴァルドルフ学校という、シュタイナーの作った自由学校運動は今では世界中に広がっている。日本ではシュタイナー学校とも言われている。シュタイナーが考案したオイリュトミー舞踏のことを聞いたことのある方も多いだろう。なにやら難しげに聞こえるが、「オイ」はギリシャ語の安楽や幸福や善を意味する言葉なので、「幸福リズム」とでも言えば実感がわくかもしれない。宇宙との交感を身体で受け止め、こころとからだの分裂を越えた一体感を得るための舞踏だそうだ。
どれだけ効き目があるかはしらないが、日本でもコースがあちこちで開かれているようだ。 ドイツで緑の党が強く、そのゆえに原発廃止が実現し、メルケル首相も元来は保守系なのに、クリーン・エネルギーを強力に推進していることは広く知られているが、その元祖の緑の党の草創期の人々には、その後外務大臣を長く務めたヨシュカ・フィッシャー氏をはじめ、このシュタイナー学校での薫陶を受けた人々が多い。その意味で、政治嫌いのエンデの作品もいろいろな意味で政治的な影響力を持ったようだ。
実はこの黒姫童話館にエンデの遺品が大量に納められているのには、信濃町からの働きかけを取り次いでくれた、子安美智子早稲田大学教授(1933~2017)の取りはからいが大きい。留学時代に小学生のお嬢さんが通ったシュタイナー学校の経験を記した彼女の『ミュンヘンの小学生』(中公新書1975年)は、ベストセラーになった。このシュタイナー教育との関連でエンデと知り合っていた子安さんは、もともと日本の文化に興味を抱いていたエンデが来日するたびに案内役をしていた。
1989年の春に来日したエンデを東京のホテルに訪ねたのが、信濃町役場の企画室に勤務しておられた山形一郎氏だ。氏は、その後黒姫童話館の主幹を務められた。エンデの通訳などもされていた子安美智子氏をいきなり訪れて、童話館の企画を詳述し、是非エンデ氏のスペースも作りたい、会わせてくれないかと、やがてエンデ氏にも見せることになる現場の航空写真なども使って熱心にお願いしたとのことだ。
しかし、山形氏が子安氏、そしてエンデに面会したのにはもうひとつ理由がある。黒姫に別荘を持っていた北欧文学の研究家で『ムーミン』の翻訳者である山室静(1906~2000)氏を訪問して、童話館のアイデアを相談した時に山室氏から「エンデは欠かせない」と言われて、にわか勉強をしたとのことだ(この辺のことは、童話館の『童話の森通信』10号の山形氏の回顧談に詳しい)。そして子安氏が山形氏の熱意をこれまた熱心にエンデに取り次いだところ、全面的に応援するとの快諾をいただいたとのこと。信濃町の町長さんに宛てた快諾の手紙も童話館に展示されている。
ちなみに前のドイツ人の夫人を亡くしていたエンデは、この1989年の4月に佐藤真理子氏と結婚しておられるので、日本との結びつきが強まったことも働いているかもしれない。しばらくして、エンデ自身が新婚の奥様ともども黒姫童話館を訪れたときの写真も展示されている。
実は、この子安さんは、年齢は少し上だが、筆者の学生時代からの友人で、その後も折にふれて会う機会が多かった。元気のいい、闊達な方だった。ご主人で日本思想の研究家である子安宣邦さんとは同じ大学の同僚で一緒にお仕事をさせていただいたこともある。
山形氏の文章によるとエンデを東京の宿に訪れたのが、1989年4月14日だそうだが、実はその数日前に筆者は頼まれて、岩波書店が当時熱海に持っていた別荘の惜櫟荘でエンデと大江健三郎の対話の司会と通訳を務めたことがある。これはNHK教育テレビで放送された。環境問題、自然と人間の関係そのほかをめぐっての対話だった。
このままで行くと温暖化で地球が破壊されるばかりか、人々が忙しさの中で人間性を失っていくと述べておられた。
30年も前の慧眼だ。そのエンデさんが対話の後の飲み会で、イタリアの生活を楽しそうに話していたのが、今でも思い浮かぶ。でも、その彼が実は結婚を数日後に控えていたことは教えてくれなかったし、この対話の数日後にやがて筆者も別荘を持つことになる信濃町の役場の方と会うことになるとはもちろん、考えもしなかった。不思議な縁だ。
なお、童話館には、エンデの手紙や原稿やメモ、またエンデの父が画家だった影響もあって、自らも描いたさまざまなスケッチや図案合わせて2千点以上が納められている。
展示されているのは、そのごく一部。残りは筆者も見ていないが、一般にドイツでは作家や思想家は、遺族が原稿や書簡など関係書類をひとまとめにして南ドイツの小さな町にある国立文学資料館に寄贈するのが普通だ。それをせずに、わざわざ信濃の山奥、越後との県境の山のミュージアムに寄贈してくれたのだから、大変なことだ。ドイツでのエンデの研究家は、資料調べに日本まで来なければならないことになった。
エンデは1995年8月になくなったが、その一周忌はミュンヘンの墓地の会堂で仏式によって執り行われた。司式をしたのは自ら僧侶の資格を持つドイツ人で早稲田大学教授だったクリストリープ・ヨープスト氏だった。日本語で「雄峰」の称号を持つ彼も、ナチスにいじめられた父親の影響もあって子供の頃からシュタイナーの人智学と仏教に興味を持っていたそうだ。これも不思議な縁だ。
東西交流の証でもある、そういう貴重な施設がわれらが信濃町にあるのだ。ゆったりした稜線を見ながら、時間泥棒に襲われない静かな散策の途上で是非なんどもおとずれていただきたい。そもそもわれわれがグリーンタウンを訪れるのは、時間泥棒からひとときでも逃げるためでもあるのだから。
(本来この記事は前号のために書くはずでしたが、新型コロナ・ウイルスの影響で、黒姫童話館もしばらく閉鎖されていたため、のびのびになりました。だいぶ前の見学のうろ覚えで書くわけには行きませんでした。今回訪れたら、畏友の故子安美智子さんの胸像も展示されていて感無量でした)
※エッセイ集
(野尻湖・黒姫・妙高にかかわった文人・墨客・市井の人々)
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